Capybara-Penguinのブログ

のほほんカピバラとぐーたらペンギンです。よろしくお願いします♪

あかちゃん

35週に入りました。

いよいよですね。

緊張します。

あかちゃんが無事に生まれますように。

カピバラさん似の優しくてよく笑う女の子に育ちますように。

お腹の子は今も元気にうにょうにょしています。今後は家族が増えてより賑やかになりそうですね。たくさん一緒に色んなところへ連れて行ってください。

安全運転でお願いしますよ!

書くことについてのあれこれ

書くことは、恥ずかしいことである。 自分の魂を取り出して、外気に晒すような、自分を痛めつける行為のように思える。 自分の魂を感じ取り、形にしてみると、いつも新しい発見がある。 今もそうだが、自分の考えというものは、いつも認識できていると勘違いしているらしい。 書いた言葉を見直すと、自分の認識できていた「それ」とは、限りなく遠い気がする。 認識を頭の中で言葉にする。それを書くという言葉の生産プロセスで、 はじめのそれとは、全く別物になっているのではないか。

書くことの恥ずかしさは、そのギャップにあるのではないか。書き出した自分と、 他人に見せる文章は、特に恥ずかしいのは、自分しか知らない、もう一人の自分が、未熟児として 現世に生まれてきたような感覚がして、見るに堪えないのではなかろうか。

 一方で、書くことは自己充足につながる。 恥ずかしいことでもあるが、恥ずかしい自分を認める行為でもある。 非常に自虐的であり、自傷行為でもあるが、それが自己認識につながり、 もう一人の自分が世界にいることの証明のようだ。

では、もう一人の自分とは誰か? この言葉を紡いでいるのは、明らかに、仕事をしている自分であり、世界に存在している理性的な自分である。

ただ、その自分に、「言葉前段階?」のような塊を投げつけているのは、明らかにその自分ではない。 確実にもう一人いるような感じがする。このもう一人の自分の存在は、「理性的な自分」に表現をさせることで、 存在を確認している。そんな感じ。 だから、書いた言葉は、感じていることよりも、必ず理性的にデフォルメされるし、言葉になる段階で、 伝わるように、変換されていく。 感じていることを、感じたままに表現することが、 もう一人の自分を認めてあげることに繋がり、 それが魂を満たす行為になるのではないか。

もう一度整理すると、このように書くことは、大事であるが、「書く」という行為は、言語のルールが張り巡らされている中で行われているため、 どこか窮屈である。他人が見て、伝わるように、他人が見て、不快に思わないように。自分らしく書く、独自性を出したい。 本来そんなことはどうでもいいはず。ダンスや絵を描くこと、ゲームなど、ありのままの自己表現の形はたくさんある。 できるだけ、「元の自分」の抽象度とリアリティを保ったまま、現世に表現できる手段を自分で持っておくことは非常に有効なのではないか。

将棋とエンタメ、そして人生

王将戦で、タイトル羽生善治九段が負けた。

現王将の藤井聡太五冠は、常にAIが出した最善手を出し続け、快勝した。

 

将棋は、とても人間味があるゲームだ。

運の要素は0で、相手との駆け引きが純粋に楽しめる。81マスの盤上に駒を動かし、相手から獲ったコマを自由に使えるというルールも、自由度が高いゆえに判断を迷わせる。

 

また、「人間とAIは、どのように共存するのか?」という点に、全ての棋士が真剣に向き合っていて、AIをうまく活用しながら、新たな手筋を発見し、勝利を目指している。

 

・現状、既に人間よりAIが強い。電脳戦ではAIが勝ち越し。

・AIにより、評価値が極端に下がるような悪手が減っている。

・ルール自体はシンプルで、誰でも簡単に指せる。

・将棋を観戦をメインに楽しむ人を「観る将」という。タイトル戦は7番勝負で、全国のお城やホテルを転々としながら戦い、対局中のおやつタイムには、ご当地の名物が出てくる。

・真剣な対局の中で、長ければ16時間続く、ゆるくて適当な解説と、おやつなどの話題の緩急がエンタメとして成立。Abema TVでも囲碁と合わせてチャンネルがあるほど。

・競技人口は、500万人程度。サッカーが436万人なので、サッカーより多い。麻雀も500万人程度。

YouTubeチャンネルを開設しているプロ棋士も多く、プロ棋士同士の将棋以外の頭脳戦は見ていて面白い。チェス、麻雀、大富豪やポーカー、など別のゲームをする企画が沢山ある。

 

・将棋のプロ棋士は、169名(2022年7月12日時点)。毎年4人しかプロになれず、名人のタイトルを争う八段以上のA級に属するプロは10人しかいない。

・「 三人の兄たちは頭が悪いから東大に行った。 私は頭が良いから将棋の棋士になった」という米長棋聖の言葉に象徴されるよう、極端に頭がいい人たち同士が戦い合う究極の頭脳戦が白熱する。

・終盤の詰みまでの道筋で、全てが逆転することが簡単に起こるため、ドラマティック。

・年に8回のタイトル戦があり、名人戦以外の7タイトルは基本的にプロであれば誰でもチャレンジできるので下剋上がある。

・対局中継にAIの評価値と最善手と読み筋が、常に表示されていて、観戦者は常に「正解っぽい手筋」がわかるようになっている。(考えなくて良い)

 

 

将棋観戦をして

 

・普通の人が損する時代。社会の発展、とりわけAIやSNS発達で、「普通であること」の優越性が低くなっている。なぜそう感じるかというと、「間違わない」ことは、既に人間より、コンピューターの方が得意だから。間違わないことが大事な仕事は、その価値がどんどん減っていくので、報酬もやりがいもなくなる。その点、藤井聡太五冠や、羽生善治九段のように、「人を魅せる新しい手筋」が出せる人に注目と興味関心が集まる。

 インフルエンサーも同じ理屈。ただし、一般の人々は、SNS世界のインフルエンサーが理想の自分となりがちで、現実とのギャップに苦しむ。